「またEGOが溜まったらここに来なさい」
それからまた、歩き続けている。最初に彼女に会ってからどのくらい経っただろう。数時間? 数日? 時計も窓もないので感覚が曖昧になっている。それに少しも眠っていない。疲れている自覚はあったが足は止まらなかった。だとすれば気持ちの疲れだろうか。
彼女、エスは魅力的な人だった。つめたい瞼。凝った髪型と服装。本のページを繰る手つき。憂いげな言葉遣い。それだけじゃない。彼女との対話はわたしにとってとても重要だ。明確で単純な答えは出ないけれど、あやふやな気持ちに何かの兆しが見えてくる。この短期間で、わたしはすっかり彼女を好きになっていた。
暗い通路を一人で歩いていると、否応なしに考えてしまう。彼女に会いたい。会って話がしたい。あの手に触れてみたい。
部屋に入るなりカウチに案内されたと思ったら。
「……いい子ね。いつもと違う景色でしょ?」
彼女は自分の椅子を持ってきて、カウチのすぐ近くに腰をおろした。薄い色の瞳。そのまなざしにのぞきこまれて、わたしはたやすく緊張する。それは彼女にも筒抜けなようで、深呼吸するよう促された。ゆっくり……ゆっくり……。一瞬彼女が微笑んだように感じたが、光の具合でそう見えただけだろう。
診断が始まった。
目を開けると彼女はやはりそこにいて(当たり前だが)、少し安心する。話し方がいつもより優しい気がしてくすぐったかった。診断結果は相変わらず容赦なかったが。
「ありがとう。エス」
「如何いたしまして。またEGOが溜まったらここに来なさい。と、その前に」起き上がろうとしたところを制された。「疲れているんじゃない? あまり根を詰めてはだめよ。少し休んでいったらどうかしら」
彼女がそういうことを言うのは正直、意外だった。だが、ありがたい提案だ。
「好き……」
「ごめんなさい、私はあなたのこと好きじゃないの」
わたし、いま、なんて言った? 自分の発言に驚いて何も言えないでいると、彼女は椅子を抱えて定位置にさっさと戻ってゆく。今度こそ起き上がり、慌ててしどろもどろな弁解をし始めると、彼女が振り向いた。
「良い夢、見られるといいわね」
初出 2019/1/15